11月のコースの見どころ
補岩寺

建徳山補岩寺は、本尊聖観世音菩薩を祀る曹洞宗の古刹です。本堂の東側にある阿弥陀堂内には、永禄10年(1567年)の墨書銘を持つ「木造阿弥陀如来座像」と、平安時代の「木造毘沙門天立像」が安置されています。また、境内入口には、天保10年(1839年)造立の「芋代官碑」があります。芋代官碑とは、江戸中期の石見銀山大森代官「井戸平左衛門」謝恩の碑です。享保17年(1732年)の大凶年に薩摩からサツマイモを取り寄せて山陰地方へ広まるもとを作った井戸代官は、芋代官の名で親しまれています。
(出典:境港市教育委員会)
古代の境水道沿岸

境水道沿岸では、1934年(昭和9年)、島根半島のサルガ鼻洞窟遺跡をはじめ、縄文時代の遺跡の発見が続きました。境港市内では、1937年(昭和12年)に境港駅西方の畑地で土器が見つかり、御立山遺跡と命名。1950年(昭和25年)には、西灘神社の西方約100メールの海底土砂から多くの土器片が発見され、西灘遺跡として注目を集め、また同年、通称「北灘」と呼ばれていた外江海岸の海底土砂から土器片や貝殻などが発見され、北灘遺跡と呼ばれています。海底調査の結果、いずれも縄文遺物包含層を中心に遺物の採集があり、縄文遺跡としての海底遺跡と認められました。そこで発見された遺物は、対岸の各洞窟遺跡の特徴を持つものが多く、当時から境水道をはさんだ両岸は深い結びつきを持っていたと考えられます。
(出典:境港市教育委員会)
(出典:境港市教育委員会)
恵比寿神社の「道標石」

恵比寿神社には、境港市内で唯一確認されている石の道しるべ「道標石」があります。正面に「左り、さかへ道」と刻まれています。江戸時代、日本中の廻国行者が納教のため、石見・出雲から伯耆の大山寺へと向かうとき、対岸の島根半島の美保関町森山から船で境水道を渡り、ここ外江町へたどり着いた後、この道標石に従って大山寺へと上って行ったそうです。
(出典:境港市教育委員会)